株式会社 小島塗装店


建設技術者の育成について

 徳川家康が築いた江戸幕府を開いてから300年の長きにわたり江戸の町は現在に至るまで
大いに繁栄をし現在また世界の東京といえるまで近代都市化が進んでいる事は誰もが認識を
しています。現在は日本の首都というより世界の東京といえると思います。
 オリンピックに向けて東京中が地上・地下・空と立体アニメ都市に変貌途中での感がいたします。
 家康が描いた江戸の町、経済面・交通面ともその企画も現在、六本木ヒルズにある森ビルが
研究再認識されています。また江戸の町には江戸文化があり、多くの絵師が活躍されたのも
そうであり、また多くの江戸職人がおり現在までその技が伝承されております。腕に職を付ける、
そうすれば一生生活に困らないといわれました。腕が上がる、腕が立つという事も現在でも通用
します。日本の技術のすばらしさの原点ではないでしょうか。
 我々が住むこの城下町高田も徳川幕府重臣松平家の城下町であり築城と共に城下には
多くの職人がおり、現在の高田の礎を築いたのです。旧市中の旧町名は職人の名が付いた
町名が多く、紺屋町・上紺屋町・茶屋町(街道の宿場所)、大町には職人町(木工・タンス・戸棚)・
鍛冶町・呉服町・刃物の鍛冶町(武器を作る鉄工所)・桶屋町(風呂桶・飯物)・椀屋町(木製の食器)
等、多くの技術職が高田の城下を支えて発展したと推測できます。
 現在多くの技術者が高齢になり技術が跡絶えようとしています。私も祖父が塗師であり、
日本古来の漆の技法を伝授され、基礎技術を持っております。その技術を少しでも今の若い人
たちに伝えていきたいと思います。現在、上越人材ハイスクールの講師を受けております関係で
今後も指導していきたいと考えます。またその伝統をふまえて近代の技術取得を指導いたします
ので是非挑戦してください。
 機械の歯車の一部ではなく、自分にしかない技術を持つ事はなによりも社会で安定した位置に
なれると考えております。
 当社も昨年、関東営業所を開設し現在は営業活動・施工活動も新潟県は元より長野県にも
進出し、また施工実績も官庁工事を中心にして活動を展開しています。
 前向きな若い力を期待しております。







新潟日報の「にいがた老舗物語」で4週に亘り連載されました



新潟日報掲載記事(2015年3月8日)

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新潟日報掲載記事(2015年3月15日)

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新潟日報掲載記事(2015年3月22日)

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新潟日報掲載記事(2015年3月29日)

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陀羅尼八幡神社の『モミジ』蘇生に協力させていただきました

 上越市北本町2丁目の陀羅尼八幡神社境内にある3本のモミジは、平成14年当時、アリの繁殖で腐朽が進み、幹の中が空洞化し、いつ倒れてもおかしくない状態でした。
 安全のため伐採も検討されていましたが、八幡さまのシンボルでもあるモミジを切るのは忍びないという思いから、樹木医の指導を受け、仕事の合間を見ながら蘇生作業を行いました。
 腐朽部の除去、空洞部の補強、土壌改良などを施したかいあって復活したモミジは、見事な色づきで住民の目を楽しませています。



美しく色づいたモミジ

上越タイムス掲載記事(2009年11月14日)

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五智国分寺の『山門』修復に協力させていただきました

 五智国分寺(上越市指定文化財)は、上越市民に『五智さん』の愛称で親しまれており、上杉謙信が再興したと伝えられております。
 私も子供の頃から国分寺を遊び場にしておりましたが、訪れるたびに朽ちていく山門を見て心が痛み、2005年の初詣の際に修復を決意いたしました。
 修復作業には、東京の文化財専門の研究機関や、奈良・薬師寺の回廊の修復工事を担当した建設業者らからアドバイスをいただき、また、これまでの塗装業で培った経験を活かし、オリジナルの工法で風雪に耐えうる工夫を施しました。そして、何より、当社社員や仕事仲間の理解と協力のおかげで、業務の合間に約3年半の年月をかけて修復することができましたことを深く感謝しております。
 また、五智で焼かれたという『五智瓦』を使った屋根部分も劣化が進んでおりますが、修復には多額の費用がかかるため、今回は見送ることにいたしましたが、今後、費用の工面ができ次第、協力させていただく所存です。



よみがえった山額

新潟日報掲載記事(2008年12月9日)

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       上越タイムス掲載記事(2008年11月6日)

       朝日新聞掲載記事(2009年1月3日)





当たり年議員の抱負

 私にとって平成二十二年威寅はどんな年になるのか、と云うよりはどんな生存競争になるのか、 という経済情勢であり、零細企業主である私にとって獅子奮迅の気持ちを持たなくてはならないという心境です。
 母の話しですと、子供の頃肺炎を病んでからの私は、ひ弱で、勉強もあまり良いほうではありませんでした。だだ内心気持ちの中では気骨があったと思います。寅年生まれのせいかもしれません。
 さて虎にまつわる故事ことわざが多くあります。虎に翼、虎の威を借る狐、虎の尾を踏む、虎の子、虎の子渡し、虎の巻、等々、猛獣としての虎の強さ、子供を大事にすることからの故事 でありますが、今年は『虎に翼』の心境で進みたいと思います。
 昨年十一月に会議所で青森・八戸新幹線視察研修に参加をいたしまして、大変見聞を広くさせていただき、多様な方々との交流があった事はこれからの活動に大変有意義でありました。 この高田の地で数代にわたり商売をいたし、地域の皆様に大変御贔屓にさせていただきました事に対して非常に感謝しなくてはならないと思います。これからは地域のために少しでもお役に 立てるよう会議所活動を通じてご奉仕いたす所存です。
 この上越地方もいよいよ新幹線高速鉄道時代に突入します。北陸新幹線開業時にはおそらく 350km/h運転での開業、いや400km/h運転になるかもしれません。それは当上越地方にとって 大変な産業構造の変化になることと思います。この地を如何に活性化するか、取り残され ないようにするか、それには皆が『小異を捨てて大同につく』心境になることが必要だと思います。
 いずれにしても県外人から越後の人間は、あばら骨三本少ない、と言われないようにしたいものです。上杉謙信公の国ではないですか、皆さんと一緒に地域の為に頑張りましょう。良い虎年になります ように。




上越商工会議所 青森・八戸研修視察報告会によせて

 研修視察から一ヶ月経過いたしましたが、この期間の中で、いろんな変化があったことは ご承知だと思います。 とりわけ県行政と国交省との温度差、富山、石川両県との軋轢等、上越にとって憂慮すべき 事態であると思います。 このような状況の中で、われわれ会議所を支えるものとして早急に受入体制の組織作りが必要であり、そこでの地元としての考えを表明することは最重要であると考えます。
 一つの例で 県外の方からの上越に対する見方といたしまして、上越の人は歴史を大事にしない、 新幹線にのって、親鸞聖人の御内室恵心尼様を新幹線の窓から見下ろすのか、と云われました。 その方は地元板倉の或る方に自分のお金一万円をわたして役立たせてほしいと、云われたそうです。その方は信仰とは別であり、いかに新幹線を待ちわびているのか理解できます。 地元の多くの方々も、目の前で工事が進行していますし、今後の推移と現実的な前向きな判断を 望んでいるとおもいます。平たく言えば、上越は何をやっているのか、という心境だと思います。
 早急に青年部、婦人部を含めて酒のない席での論談の機会を設定して下さるよう、執行部に要望いたします。







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